プラネックスが外食産業に打って出たワケ その2(プラネックス  志村芳希)

同社がそのような厳しい条件下で順調に利益を上げることができたのには、とある業種に着目したことが大きな要因として考えられます。それはウエディングです。1995年当時、ウェディングビジネスという業種はまだ黎明期でした。それはつまり、他社に先駆けて参入するということを意味します。

プラネックスは他社に先駆けて、まだ手付かずの業種でイニシアチブを持てたという強みがありました。ただそれは、他社が参入していないという、利益が確保できるかどうか不透明な状況で参入するということと同意であり、勇気のある決断が必要でした。

ウエディングビジネスという当時の成長市場に対して、どのようにして切り込んでいくことができたのか、それについては代表取締役社長の中田氏の手腕が遺憾なく発揮されました。中田氏の戦略は、「飲食業との併用」でした。

中田氏はこの戦略を「レストランウエディング」と呼びました。これによってプラネックスは初年度から利益を上げるという活気的なビジネス展開を実現しました。

ウエディング業界に比べ、レストラン業界はすでに業界としての円熟期を迎えていたので、両者を組み合わせることで高い収益率を確保できたのです。次回のページではプラネックスのビジネス手法についてお伝えしていきましょう。(プラネックス  志村芳希)