まずレストラン事業へと手を広げたのには、外食分野なら事業として円熟していて収益モデルを想定しやすいというのが大きな理由でした。
そこでプラネックスでは、資産と組織を確率しやすいレストラン業を展開し、そこでの成功をコンサルティング業として指導する立場へと事業をシフトしていきました。
ここにいたるまでのプラネックスの事業展開のプランには紆余曲折がありましたが、何とか乗り切れたのは、同僚に恵まれたお陰だと中田氏は振り返ります。様々な事業にはそれぞれに奥行きのある事業プランが必要です。それは当然のことながら、一筋縄では立ち行きません。
ですから、いくら有能な経営者だといっても、複数分野をまたにかける事業を展開する上では、一人の経営者で全ての事業を引っ張っていくことは不可能です。プラネックスにはそういったときに経営をゆだねることのできる有能な社員に恵まれていました。
そのような展開を中田氏は予測していたのかというと、実はそうではありませんでした。しかしたまたまかと言われれば、そういうわけでもなかったようです。プラネックスの事業展開のヒントについて、次回のページで詳しく述べていこうと思います。(プラネックス 志村芳希)